何時だったか、
たしか去年の4月か5月くらいだったと思います。
家系図作成会社の方から電話があり、
お寺の写真を撮りたいとのことでした。
昨今厳しく言われている、個人情報の取り扱い等により、
個人に関わる写真撮影やお話しができない事、
原爆投下による資料紛失など
あるのですが、お寺の写真撮影だけならと来寺頂きました。
来寺された際、
お話を聞くとどうも檀家さんの話ではないみたいです。
国泰寺の僧侶だったそうです。
しかも住職をされていたそうなのでお名前を聞いてみると
歴代住職のお一人とお名前は一緒でした。
依頼人はアメリカ在住の日系人で
当山25世蘭渓濁秀大和尚の曾孫さんだそうです。
1994年(平成6年)に一度、
母親と国泰寺に訪問されたことがあるみたいですが、
お年を召されている事、コロナウィルスもあり、
日本へ渡航ができず、依頼されたそうです。
それではと、
古い資料やお寺を一通りの写真撮影をしてもらいました。
25世蘭渓濁秀大和尚は明治3年に国泰寺の
住職に就任された記録はあります。
しかし、原爆によってほぼ全ての資料が消失してしまいました。
今ある資料は浅野家から譲り受けた書物しかありません。
しかも、浅野家は明治維新後、神道に改宗されましたので、
明治以降は浅野家書物にも記載がなく。
明治元年から昭和20年までは特に資料は残っていないのです。
廣島市史等の書物からでしか資料はなかったのが残念でした。
その依頼人より、家系図作成会社経由でお手紙が届きました。
新年のご挨拶と対応してもらったお礼。
そして今度は夫と一緒にもう一度訪問したいとの内容で、
英文と和訳したものが入ってありました。
25世蘭渓濁秀大和尚は1892年(明治25年)に示寂され、
それから過ぎること2023年(令和5年)
131年の時を過ぎ、明治、大正、昭和、平成、令和。
国泰寺も25世から現在30世と移ろい、
当時の事を知る人もなく、
一生交わる事の無かったであろう方、
日本ではなくアメリカからの便り。
これこそが仏縁であろうと嬉しく思います。
さあ今度会える日まで。
合掌