恐山を後にした一行は下北半島を北西方面へと進みます。
陸奥湾沿いにバスが進み、ガイドさんが話し始めました。
「妻と飛んだ特攻兵」の話でした。
ノンフィクション作家である豊田正義氏が取材を重ねて記した
「妻と飛んだ特攻兵8.19満州、最後の特攻」。
元女優の堀北真希さん、俳優の成宮寛貴さん、共演のドラマを
ご覧になられた方もいらっしゃるかと思います。
太平洋戦争終結である1945(昭和20)年8月15日の玉音放送から
4日後、8月19日の満州で、特攻隊員である谷藤徹夫(成宮寛貴)
と共に、同じ特攻機に乗って飛び立った新妻である
谷藤朝子(堀北真希)がいたという実話です。
終戦直後の満州では、投稿した捕虜や民間人は抑留され、
特に女性はソ連兵から凌辱の限りを尽くされていた。
しかし満州駐留の日本陸軍「関東軍」は降伏命令に従い、
同胞を見捨て、ソ連軍との戦闘を放棄した。
その時、関東軍総司令部の降伏命令に背き、
ソ連軍と戦うと決断した満州南部の大虎山飛行場に
駐屯していた谷藤徹夫ら10人の飛行兵です。
ソ連戦車隊への特攻作戦を計画し、自らを
「神州不滅特別攻撃隊」と命名した。
たとえ特攻作戦が、意味を成さないものであっても、
ソ連軍侵攻を少しでも遅らせ、日本人居留民の逃避の
時間を少しでも稼ぐことができればとの思いで
この特攻を行うと決断されたのです。
特攻前夜に告げられた新妻の朝子は、
共に生き、共に死を哀願し徹夫はそれを受け入れます。
当日、大虎山飛行場での目撃証言によれば、
朝子は白いワンピース姿で徹夫の特攻機に乗り込んだという。
そして10人の特攻兵と朝子は、上空に消えていきました。
その後、元軍幹部は、
「軍事遂行命令でなく個人の勝手な命令違反」
であり、女性を同乗させたことを「軍紀違反」と非難した。
10人と朝子らは戦犯同然の扱いを受け、
戦没者に名を連ねることも許されなかった。
そのため遺族は世間体を気にして、葬式さえ挙げていなかった。
昭和42年、満州で同じ部隊だった戦友の尽力により、
東京・世田谷観音に神州不滅特攻隊の慰霊碑が建立された。
陸軍中尉 今田 達夫 広島
陸軍中尉 馬場伊与次 山形
陸軍中尉 岩佐 輝夫 北海道
陸軍中尉 大倉 巌 北海道
陸軍中尉 谷藤 徹夫 青森
陸軍中尉 北島 孝次 東京
陸軍中尉 宮川 進二 東京
陸軍中尉 日野 敏一 兵庫
陸軍中尉 波田野五男 広島
陸軍少尉 二宮 清 静岡
昭和四十二年五月
神州不滅特別攻撃隊 顕彰会
ある取材中、作家の豊田さんが元特攻隊員の老人から
「満州に特攻隊があったのを知っていますか?
そのうちの隊員のひとりはね、
終戦直後に妻を特攻機に乗せて、
夫婦一緒に体当たりしたんですよ」と聞きました。
その老人からもらった唯一の手がかりは、
妻を特攻機に乗せた隊員の苗字が「谷藤」で、
故郷が青森の恐山の近くだということだけだったのです。
そして、取材を重ね辿り着いたのが、
田部川沿いにある古刹、円通寺で谷藤家の墓誌。
昭和二十年八月十九日没 谷藤徹夫 行年 二十四歳
昭和二十年八月十九日没 谷藤朝子 行年 二十六歳
これを見つけ、そこからさらに取材をし、
「妻と飛んだ特攻兵8.19満州、最後の特攻」
が執筆されたのでした。
そして今、バスで走っている場所が円通寺の近くです。
とガイドさんは言いました。
実はこの特攻兵10人と朝子さん以外に、
もう一人女性が搭乗していたそうです。
陸軍中尉、大倉巌さんの親戚で許嫁の女性です。
慰霊碑建立後、厚生省(当時)が戦没者と認定し、
谷藤徹夫ら10人の特攻兵は靖国神社に祀られました。
しかしながら、一緒に搭乗していた女性二人は
祀られなかったそうです。
12名それぞれどのようなお気持ちであったかは
想像を絶しますが、この方々を含め、
数多の英霊達によって今の日本があること
を考えさせられます。
世界中から戦争が無くなる事を願うばかりです。
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