知足
知足のお話です。知足とは「足る事を知る」という意味です。
その村には一人一人の漁師がいました。
漁師はとても真面目でいつも朝早くから夜遅くまで漁に出て
働きましたが、苦しい生活でした。
ある朝、いつものように漁をしていると、
網の中から黄金黄でできた十六羅漢像の一体が入っていました。
(羅漢とは悟りを開いた徳の備わった修行者。阿羅漢の略。
寺院には十六羅漢または五百羅漢の像が祀られている。)
黄金でできているためとても重く、
漁師は一生遊んで暮らせると思い、
その羅漢像を船に乗せて帰ろうとしました。
その時時に漁師はふと思ったのです。
残りの十六羅漢像は十五体。
この辺りに残りの羅漢像もあるのではないかと。
漁師はすぐさま網を入れます。
網を引き揚げると海中から金色に輝く二体の羅漢像が見えます。
思った通りだと漁師は力を振り絞り羅漢像を船の中に揚げた
その瞬間、
羅漢像の重さで船と漁師は羅漢像と一緒に海中に沈んでしまいました。
人間の欲望は限りがなく、そこに苦しみが生しょうじる。
「仏遺教経」の中に
「知足の人は地上に臥すと雖も、なお安楽なりとす。
不知足の者は、天堂に処すと雖も亦意に称わず。」
「不知足の者は富めりと雖も而も貧し」
「若し諸々の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし」とあります。
足るを知る者は地べたに寝るような生活であっても幸せを実感できるが、
足るを知らない者は、天にある宮殿のような所に住んでいても満足できない。
足ることを知らない者はどんなに裕福であっても心は貧しい。
もし様々な苦悩から逃れたいと思うなら足る事を知りなさいと説いています。
無一物
無一物と読みます。
中国禅宗の開祖、菩提達磨(ボーディーダルマ)。
その法を受け継いだ第六祖(詳しくはこちら)、
大鑑慧能禅師のお話です。
大鑑慧能禅師は638年に生まれ広東、嶺南の出身です。
幼少の頃、慧能は父と死別し、母と二人暮らしをしていました。
家は貧しく薪を売ったわずかなお金で毎日暮らしていました。
そのため、勉強をする機会はなく、文字の読み書きができませんでした。
ある日、一人の僧侶とすれ違いました。
その時に、お経の一説
「まさに住するところなくして、その心を生ずべし。」
が聞こえ、その言葉に心を打たれました。
「すみません。今あなたが唱えていたのは何というお経なのでしょうか?。」
「『金剛経』(金剛般若波羅蜜経の略、空、無我の道理を説いている)です。」
「そのお経を、どなたから教わったのですか?。」
「河北、黄梅山の弘忍和尚からです。」
そこで慧能は母の世話を隣人に頼み黄梅山を目指した。
ようやく黄梅山にたどり着き、
五祖、大滿弘忍禅師にお目にかかった。
弘忍禅師は慧能にこう聞いた。
「何処から何を求めてここに来たのか?。」
慧能は答えます。
「嶺南から来ました。仏になりたい一心で師の下へ参りました。」
弘忍禅師は慧能を試すためにこう聞きます。
「南蛮の人間が仏になれるのか?。」
この頃、南蛮とは南方の異民族に対する蔑称でした。
「人間の生まれには南北ありますが、
仏に南北の違いがありません。」
弘忍禅師は大変喜ばれましたが、
慧能は出家もしていないため、
修行僧と同じように扱えませんでした。
そこで、米つきの仕事をしながら寺に住まわせることにしました。
それから数カ月経ち、弘忍禅師がある御触れを修行僧達に出しました。
「自分の法を継ぐ者を決めるため、自分の悟りの境地を偈(詩)で表しなさい。」
この頃、弘忍禅師の下には700人とも800人ともいう修行僧がいました。
その中に神秀という常に修行僧の先頭で修行をする誰もが認める修行僧がいました。
修行僧達は「五祖、大滿弘忍禅師の法を継ぎ、六祖となるのは神秀しかいない。」
と思い誰も偈(詞)を表すものはいませんでした。
当然のことながら、神秀は自らの悟りの境地を偈(詩)にし、
寺の廊下の壁に書きだしました。
身是菩提樹
(我が身は悟りの樹であり)
心如明鏡台
(我が心は曇りのない鏡台である)
時々勤払拭
(常にこの身と心を絶えず磨き続け)
莫遣有塵埃
(塵や埃がつかないように修行をしなければならない)
弘忍禅師は、
「このように修行をすれば優れた成果を修めるだろう。」
と褒めました。
修行僧も次から次にその偈(詩)を読んでいった。
そこに慧能が通りかかった時、修行僧が読むその偈(詩)を耳にしました。
「その偈(詩)は誰が作ったのですか?。」
と慧能が聞くと、
「神秀さんが作った偈(詩)で、
弘忍禅師が法を継ぐ者を決めるために偈(詩)
に表せを言われたのだ。」
と修行僧はこれまでの経緯を全て教えてくれました。
慧能は話を聞くと、
神秀の偈(詩)は禅家のあるべき修行その姿だと感心しましたが、
「自分も今、偈(詩)を作りました。
自分は文字が書けないので代わりに書いてもらえますか?。」
と頼みました。
修行僧はその頼みを聞き、神秀の偈(詩)の横に慧能の偈(詩)を
書いてあげました。
菩提本非樹
(我が身は悟りの樹ではない)
明鏡亦非台
(我が心も曇りのない鏡台ではない)
本来無一物
(もともと執着すべきものは何も無い)
何仮払塵埃
(どうして無いものに塵や埃がたまることがあろうか)
この偈(詩)を読んだ弘忍禅師は自分の法と衣鉢を継ぐ者は
慧能が相応しいと思います。
このお話はまだ続きます。
そして結果、慧能は六祖となり、
六祖慧能と呼ばれる事となります。
慧能禅師の無一物。
無=何もないという意味ではなく、
この世界は空であり、そして無である。
菩提樹も空であり、
明鏡台も無である。
悟りへのこだわり、迷い。ここに執着を生む。
執着から離れ、自も無し、他も無し。
何事にも囚われない心で生きていこうということなのでしょうね。
月を指す
大鑑慧能禅師のお話です。
五祖、大滿弘忍禅師に法と衣鉢を継ぎ、故郷の広東省韶州に帰りました。
その頃、六祖慧能はまだ世間に知られていませんでした。
儒者の劉志略は慧能を崇敬していました。
一説によると劉氏は豪族で慧能の援助を行っていたとされます。
その劉氏の伯母である無尽蔵尼は涅槃経に通じていました。
ある時、無尽蔵には涅槃経のわからない所を慧能に尋ねました。
慧能は、
「私は字を知らないのであなたが経文を読んでみてください」
と言われました。無尽蔵尼は、
「字を知らなければ、真理もわからないのではないですか?」
と返しますが、慧能はこう答えます。
「言語に依らず(不衣言語)、文字を立てず(不立文字)」
「真理と文字は関係ない。真理とはまさに月である。」
「文字とは今まさに月を指しているこの指の事である。」
「指は月を指すが、指そのものは月ではない。」
「あなたは月を眺めるたびに、指を指すのか?」
「月を眺めるのには必ずしも指を通して眺める必要はない。」
真理にたどり着こうとする時に、文字や言語は手段の一つであり、
手段は真理ではないということですね。
真理は何事にも囚われることも無く、無心の境地で物事見ることにより
体得できるとされています。
無一物とお話が似ていますね。
それだけ、何事にも囚われないことは禅宗にとって大事と
されているわけです。