お釈迦様の生涯
お釈迦様は紀元前4年~5年に活躍されています。
お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ、ガウマタ・シッダールタ)を、仏(仏陀)として敬う呼び名です。
南無釈迦牟尼仏とは、釈迦牟尼仏に帰依しますという意味です。釈迦牟尼とは、シャーキヤムニといい、サンスクリット語で「シャーキヤ族の聖者」という意味の尊称です。
お釈迦様の生涯は『八相成道』と呼ばれる八つの重要な出来事により分類されています。
(一)降兜率
お釈迦様が兜率天よりこの世界(閻浮提)に降りてこられたことを降兜率と言います。兜率天とは天界の一つであり、将来仏となるべき菩薩達が住む所です。


(二)託胎
閻浮提に降りてこられたお釈迦様はマーヤー夫人の右脇から母胎に宿りました。
その時にマーヤー夫人は六つの牙を持つ白象が右脇から胎内に入ってきたという夢を見たと言い伝えられています。

(三)降誕
お釈迦様は紀元前566年頃に北インドのシャーキヤ国(釈迦国)の王族として生まれました。
父親は国王であるシュッドーダナ(浄飯王)で、 シャーキヤ国はシュラーヴァスティ(舎衛城)を中心としたコーサラ国の属国だったそうです。 母親のマーヤーは、4月8日、出産のための里帰りの旅行中に、カピラヴァストゥ郊外のルンビニーでお釈迦様を産みます。
この誕生に関して、お釈迦様はマーヤーの右脇から生まれ出て7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向けて、『 天上天下唯我独尊 』と仰られたと伝えられています。

マーヤーは出産した7日後に亡くなり、お釈迦様はシッダールタと名付けられます。シッダールタはマーヤーの妹マハープラージャーパティによって何一つ不自由なく育てられました。
(四)出家
お釈迦様が出家を志すに至る過程が『四門出遊』という故事で語られています。
お釈迦様は人生の無常や苦を痛感し、人の煩悩の救済や真の悟りを追求するために、王族の地位を捨て、産まれて間もない子供ラーフラ、妻のヤショーダラを置いて二十九歳の時、出家の道に入りました。
ラーフラはサンスクリット語で「障害」という意味です。
子供が生まれたことで、お釈迦様が出家をするのに障害(ラーフラ)が生じた為、その名前が付いたとされています。彼は後にお釈迦様により強制的に出家させられます。
しかしながら少しも驕ることもなく、具足戒を受け戒律を厳格に守り、十大弟子となり密行第一と呼ばれるになりました。
さて、出家したお釈迦様は、何名かのバラモンに師事し、その境地に達することができたが、満足のいくものではなく、究極の境地、悟りを得ることは出来ないと彼らのもとを去りました。
最後までお釈迦様の出家を反対していた、父のシュッドーダナはお釈迦様の警護も兼ねて5人の沙門を同行させていました。 この五人がのちに 五比丘 と呼ばれます。
その時代、インドにあったバラモン教の苦業信仰(肉体を苦しめることにより、精神的解放を得られる)の影響から6年間に渡り、激しい肉体を苦しめる苦行(息を止める、太陽を見続ける、長時間の逆さ吊り、断食等)や瞑想などの修行を行いますが止めてしまいます。
6年の歳月が過ぎても心には何の変化もなく、肉体は痩せこけ心身を極度に疲弊させただけでした。
同行していた5人の沙門達は、お釈迦様は修行を放棄した脱落者とし去って行きました。
(五)降魔
お釈迦様は苦行を止め、ナイランジャナー川で沐浴した後、スジャータという娘から乳粥の供養を受けます、そして心身共に回復した後、菩提樹の下に坐して瞑想に入られました。

そこに魔王が成道(悟りを開く)の邪魔をしようとお釈迦様の瞑想中に様々な誘惑や恐喝を行います。
快楽、名誉、不満、飢え、貪り、怠惰、恐怖、猜疑心、虚栄心、傲慢、それらに打ち勝ち、魔王は降伏し、ついには成道(悟りを開く)されます。
これを『 降魔成道 』と言います。

(六)成道
魔王を降伏させ、12月8日明けの明星を見て成道(悟りを開く)されます。
成道、真理を悟った人のことを「仏陀」と呼びます。

真理を悟ったお釈迦様は悟りの内容を世間の人々に伝えるべきか考えましたが、理解が得られないと結論を出します。そこに 梵天(ブラフマー) が現れます。
一切衆生(生きとし生けるもの)に真理を説いて欲しいと何度も乞われました。
そして説法する決意をされます。
(七)転法輪
お釈迦様が最初に説法をされたのは、共に苦行をしていた五人の沙門でした。
五人は当初、脱落者として蔑んでいましたが、
人生に対する態度を示す『 中道 』の教え、
『苦』の原因とその解決の道を示した
『 四諦・ 八正道』の教えを聞くうちに悟りを得ることができました。
これを最初の説法として初転法輪と言います。
ここで「仏陀の教え」=「仏教」が成立したのです。
そこからお釈迦様は各地を周り、教えを説いて回りました。そして、他教団からの改宗や吸収した仏教教団は千人を超える大きな教団となります。様々な職種の人々の集合体である教団は秩序を保つため、様々な戒律が設けられるようになりました。
そして伝道は続きます。マガダ国のビンビサーラ王も仏教に帰依し寄進した竹林精舎、コーサラ国の祇園精舎で多くの法門を説かれました。
インドの雨季は様々な生き物が活発に動き回るため、修行者が踏みつぶしたりしないよう、みんなで集まって修行に励む場が精舎です。現在は、修行道場として教えが守られています。
(八)入滅
お釈迦様の教えは八万四千と言われています。
お釈迦様の最後の説法があります。お釈迦様は瀕死の大病を患った。
その際、全ての教えは弟子たちに伝えたことを示し、最後に
「汝らは自らを燈明とし、自らをより処として、他のものをより処せず、法を燈明とし、法をより処として、他のものをより処にすることのないように」
と戒め、四念処の修行を実践するようにと説きました。
身念処-身体の不浄を観ずる。
受念処‐一切の受は苦であると観ずる。
心念処‐心の無常を観ずる。
法念処‐法の無我をずる。
これが『自燈明・法燈明』の教えです。
そして、マッラ国のクシナガラに向かう途中、とうとう歩けなくなりました。そしてサーラの林に横たわり、入滅されました。 二月十五日、八十歳の生涯でした。

お釈迦様の死後、火葬され、その遺骨(仏舎利)は八分され、塔の中に安置されました。
これが仏舎利塔です。